校長コラム No.1 (2024/05/01)

【校長コラム 令和6年度 第1号】

文武不岐

 

 鉾田一高の校風として、よく文武不岐が語られます。この4月、高校・中学の新入生の皆さんには、文武不岐は二つのことをやるということではなく、学ぶこと(文)と実践すること(武)は一つのことである、というお話をしました。
 令和6年度のスタートにあたり、この文武不岐の意味を一緒に考え、より良き学生生活を送っていく一助になればと思います。

 本校の文武不岐の校風は、昭和の時代、野球部の甲子園出場をはじめ、多くの部活動が関東・全国大会の常連だったことや、一高としての高い進学実績から、自然と醸成されていったものと思われます。

 さて、そもそも文とは何かというと、学問や文芸(文学や芸術)のことを指します。武は体を使う武道から現在のスポーツをイメージするようになりました。
 文武二道、文武両道という「勉強でも運動でも優れた人」という賛辞とは異なるのが、この文武不岐です。
 古くは中国の思想家孔子が外交上、文武を兼ね備えることの重要性を定公に説いたことから広まった考え方です。
 水戸藩第9代藩主徳川斉昭の創設した弘道館では、欧米の脅威が迫る、先の見通せない時代の中、これからの日本を支える若者の人材育成のために教育思想としたのが文武不岐でした。文事だけでは軟弱となり、武事だけ秀でていても粗暴になるため「文武は、車の両輪、鳥の両翼のごとし。」(中江藤樹)という言葉の通り、文武は人として備えるべき一つのことで、片方だけでは成り立たないという教えのもと、若者たちは文武の修行に励みました。

 10代の君たちは、心と体(どちらも脳が司っています)がすごいスピードで成長しています。
 文と武は、今、君たちが鍛錬すべき一つのものです。学問や芸術により、広く深く世界を知り、部活動で心身を鍛え、実践力をつけることは、この先何十年生きる自分への投資(ギフト)となるでしょう。そのことを、常に頭のどこかで意識しながら毎日を過ごしていきましょう。
 人生は、自分の思い描いた通りになります。

飯山美都子