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                「無用」考

 先週、高校2年生の現代文の授業を参観した。たまたま通りかかった教室前で、「いかがですか?」と担当の先生に呼び止められ、吸い寄せられるように中に入る。教室では、主人公の父親に対する気持ちをめぐり、ああじゃないかこうじゃないかと生徒同士で非常に熱心に話し合っていた。ああ、なんていい時間なんだろう。

 一人で小説を読むこととは違って、みんなでひとつの文学教材を「読解」する国語の授業は時間がかかり、生徒にとっては少々面倒なことであろう。まして、数学のように正解がひとつ、という明快さもない。

 確かに、AI時代の到来で、世の中は、すぐに役に立つことや、結果を出すこと、経済的メリットばかりが重視され、一時期は、文学や文系学部不要論が語られ、小説や古典などは無用であるかのような風潮もあった。しかし、人生とは、計算どおりにはいかないもので、矛盾や葛藤、すぐに答えのでないことばかりである。人生の教科書はないが、作者に思いをはせ、作品の読解をとおして、人の喜びや悲しみに向き合い、他者への想像力や様々な価値観を学び、理解する、「文学の面白さ」と「人の心を学ぶ大切さ」を、学生時代にぜひとも味わってほしい。

 現在、国語では、実用的・実務的な内容の「論理国語」が重視されているが、次期学習指導要領では、「文学」や「小説」も重視する方向に変わる、との報道が先日あった。ひとまず、文学が無用とならなくてよかった。

 私が参観した授業の教材は、原田マハの『無用の人』という小説だったが、「無用な人」や「無用な学び」など、あるはずもない。